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翌日。僕とまゆは時間どおり落ち合った。
実を言えば、不安がなかったわけではない。昨日はちゃんと話せたとはいえ、昨日は昨日、今日は今日だ。丸一日、三次元女性との会話を安定して行えるかどうか。実際のところ、やってみないとわからない。が、まゆはもう目の前にいる。とりあえずやるしかない。でもなんとかなりそうな気もする。昨日は昨日、今日は今日。とはいえ、昨日はちゃんと話せたし、うまく説明できないが、なんというかこう、日本ではありえないことがこの数日連続で押し寄せてきて、良くも悪くも余裕がない。なるようにしかならない。今さら取り繕いようがないのだ。
「おはよー。どこ行こっか?」
「そういや決めてなかったっけ。とりあえず向こうに公園があるから、そこで考えよう」
もういい、ぶっつけ本番だ。昨日も行ったプラ・スメン公園へ行くことにした。
カオサンの西にはワット・チャナソンクラムという寺があり、公園へ行くにはその敷地を抜けるのが手っ取り早い。昨日も「外人が勝手に立ち入ったりして怒られないだろうか」などとビビりながら通ったのだが、誰にも文句を言われることはなかった。
日本の寺社仏閣はいかにも厳粛で荘厳で、何か重大な用事がなくては立ち入ってはいけないような気にさせられるが、タイの寺院はそういったものではないらしく、文字通りの老若男女が思い思いの時間を過ごしていた。花に果物にお菓子、ぬいぐるみ。原色の供え物が山のように積まれた祠の前で熱心に祈る若い女性、金ピカの本堂で修行にはげむ少年僧、風通しのいい軒下で世間話に興じる老人たち、門前でだるそうに焼きバナナを売るおばちゃん。木陰には気持ちよさそうな寝顔の野良犬も数頭寝そべっている。
彼らにとって、寺院に集う時間は日常の一部なのだろう。なんの気負いもてらいも感じられない、まったくの自然体でここにいる。こういうのが今の日本から失われた光景なのかもしれないな。
公園は昨日と同じように爽快だった。朝食がわりのパイナポーをほおばりながらガイド本を開き、まゆに尋ねる。
「ここは絶対行きたい、ってとこはある?」
「んー、とりあえずワット・プラケオ。ワット・ポーも近いよね。あと、人体博物館も行ってみたい」
ワット・プラケオは僕のガイド本にも載っていて、タイで最高格式の寺院だということは知っていた。ワット・ポーも確か寺だったはず。が、人体博物館は知らなかった。なんだそれは。
「なんかね、病院内に博物館があって、人体の標本とかがいろいろあるんだって。ほら、あたし仕事がそうだから」
なるほど、大規模な理科標本室、人間版みたいなもんか。
「だいすけは? どこ行きたい?」
ワット・プラケオは僕も考えていたが、かぶってしまったとなると、それ以外ですぐに思い浮かぶところはなかった。
まずは人体博物館へ行くことにした。地図によると、公園のすぐ南にチャオプラヤ川を走る乗合船の船着き場があり、それを利用するのがベストのようだ。川沿いに三島由紀夫の「暁の寺」のモチーフにもなったというワット・アルンもあったので、ついでに寄ることにして公園を出た。
チャオプラヤ・エクスプレスボートは、川岸のあちこちにある桟橋から乗降するシステムの、いうなれば川を走るバスだ。こんなものがあるのかと驚きつつ、最寄りのバス停ならぬ船停、バンランプー停留所から人体博物館へと向かった。
シリラート病院内にある人体博物館。非常にややこしい場所にある上に病院についてからがまたわかりにくく難儀したが、一歩足を踏み入れると今までの苦労が水の泡、どころか倍増するほどのショックに見舞われた。こ、こんなものを見るためにさんざん歩きまわったのか・・・。
入り口付近では、まずは挨拶がわりとばかりに、真っ黒い樹脂で固められた死刑囚の死体がお出迎え。電話ボックスのようなケースのなかからうつろなウェルカムスマイルを投げかけてくれるのだが、足元には樹脂のすきまから流れ出たらしい液体が固まり、不気味にこびりついている。それがなんであるかはわからないが、たぶんわからない方が幸せな系統の物質だということは想像がつく。
背筋に流れる冷たい汗を感じながらその横を通り過ぎると、あるわあるわ。ありとあらゆる形で分解された人体の数々!
貫通銃創を負った頭蓋骨やちぎれた腕などはほんのプロローグにすぎない。それらの先には脳天から股間までをまるで薪割りのようにまっぷたつにされて切断面を披露してくれているオッサンや、まるで「腹を割って話をしようぜ!」とでもいうかのように腹部を切開されているナイスガイなどが、濁ったホルマリン風呂に浸かりながら見物客を歓迎してくれていた。Oh・・・
たとえ作り物だったとしても気持ち悪いのに、これらはすべて本物の死体・・・。押し寄せる吐き気と戦いながら隣を見ると、まゆは真剣な表情で彼らからのメッセージを受信している。職業意識が働いているのかもしれないが、こういうところでは女は強い。他にもしきりにメモをとりながら見学してまわる学生グループの姿などもあり、どうやらここは学術目的のまじめな博物館らしいのだが、僕はこう名付けずにはいられなかった。スプラッタ博物館、と。
「・・・うっぷ」
「大丈夫?」
「いや、まぁ、なんとか」
ワット・プラケオもチャオプラヤ流域にある。シリラート病院前のワンラン停留所から船に乗った。
やたらめったらに暑いバンコクにおいて、このボートに乗っている時間は貴重だ。川面をけっこうなスピードで走るボートの上は常に風が通り、とにかく涼しいのだ。舳先にぶら下げた花飾りを揺らしながら水しぶきをあげる船や、川に面して建てられた家の前で泳ぐ子供たちもいて、エスニックな目の涼を楽しむこともできる。それらを眺めていると、ワット・プラケオまでの船旅はあっというまに終わってしまった。
ワット・プラケオは、遠目からでもわかるほどにただごとではない雰囲気を放っていた。スケールがとんでもなくでかい。そんじょそこらの寺院とはわけがちがう。金ピカキラキラな外観こそそこらの寺院と似通っているものの、建物の数、規模、敷地の面積はそれらと比べるべくもない。敷地全体から立ち上っているオーラには、日本の寺社と似たような近寄りがたいものがあった。法隆寺とか東大寺とかの一流どころを金ピカにしたら同じような感じかもしれない。
ちがうといえば、拝観者の身なりもちがう。カオサン近くの寺にいたようなダラッとした人はまったく見受けられない。何から何まで異質だ。拝観料まで取るのか。ん・・・200バーツ? た、たけぇ! パイナポー20個分やん! さすがはタイ最高格式の寺院だ。
マルコ・ポーロがこれを見ていたなら黄金の国はジパングではなくタイと書いただろう、と思ってしまうほど豪華絢爛なワット・プラケオの見学を終えると、隣接したワット・ポーに寄った。どうやらワットとは寺の意味のようだ。金箔を貼りつけて寝そべる大仏の大きさに度肝を抜かれて寺を後にした。
近くにあった食堂に入ってしばらく休憩したのち、対岸への渡し船に乗った。ワット・アルンはワット・ポーの川向かいにあるのだ。
ワット・プラケオにしてもワット・アルンにしても、やはり観光の目玉となるような寺にはそれ相応の存在感がある。ワット・アルンは、船の上から見ている段階で僕たちをずしりと威圧した。他の金ピカ寺院とは一線を画す、白く多面的な外観。象牙細工の塔といった威容だ。
しかし、そこはさすが脱力の国タイ。一歩足を踏み入れると、先ほどの印象はどこかへ飛び去ってしまった。この寺にはなぜか猫がめちゃめちゃ多いのだ。そこかしこでのびをしたりあくびをしたり観光客になでられたりしていて、所見の威圧感を見事に帳消しにしている。まゆもミケ猫を追ってどこかへ行ってしまった。なんという癒し系の寺。僕もまゆに倣って手近にいた猫をひっくり返し、腹をもふる。甘噛みされた。さらにもふもふする。猫キックを食らった!
結局、彼女と合流できたのは拝観終了時間の直前だった。
カオサンに戻ると、昨日の屋台で腹ごしらえをしながら作戦会議を開いた。明日どこへ行くか、それを話し合おうというのだ。
「今日はあたしの行きたいとこ行ったから、明日はだいすけが決めていいよ」
何も考えてなかった。
「明日までに考えとくわ」
「うん、わかった。明日も十時でいいよね」
会議は三十秒で終了した。
宿に戻ろうか、と席を立った時、まゆがすっとんきょうな声をあげた。
「あ!」
「ん?」
「ほらあれ、あの屋台!」
「・・・まだ食う?」
「ちがうよ! ありさが言ってたんだけど、近くにおいしいフルーツシェイクの屋台もあるんだって。たぶんあれだよ」
まゆが指さした先には、果物に包囲されたおっちゃんが何やら作業をしている屋台があった。ほほう、フルーツシェイクとな? 上等だ、受けて立ってやろう。こよなく愛しているマックシェイクのストロベリーとどちらがうまいか、比べてやろうじゃないか。
屋台の前に立ち、メニューを見る。ミックスができるようだ。ちょこざいな。僕はバナナ&ココナッツ、まゆはパパイヤ&ココナッツを注文した。寡黙な感じのおっちゃんが手際よく果物の皮をむき、スライスし始める。シロップと果物と氷をミキサーにかけ、5秒ほどかくはん撹拌すると完成だ。
出来たてひえひえのシェイクはビニール袋に入れられて手渡された。まるで甲子園のかち割りか、そうでなくば金魚を入れる用の袋のようだ。面食らったが、これがタイスタイルなのだろう。問題は味だ、うまいのかな。ず、ず、ずー・・・。
・・・ん。ん? ん! な、なんじゃこりゃぁああぁあああぁ!
マジすか! えげつなくうまい! 何かのまちがいか? 今日一日の幸せさに味覚がイカレでもしたのか? まゆのシェイクと交換し、ひと口すする。 ・・・な、なんじゃこりゃぁああぁあああぁ! これもうまい! わかった、イカレててもいい。これだけのものが味わえるのならイカレててもいい。赤痢になって入院してもいい。ここまでうまいともはや僕の知っているシェイクとは別物だ。だから別の名前で呼ぼう。これは微笑み飲料だ。で、このうまさとボリュームで20バーツ? 60円? いやはや、ナイスまゆ。宿から徒歩3分のところでこんなに安くてうまいものを見つけるとは! 我々は上機嫌で宿に戻った。
しかし一体なんなんだろう、このうまさは。言うまでもなく微笑み飲料の完勝だ。パイナポーが同じようにうまかったところをみると、やはり果物自体が極上なのだろうか。日本で買うと高いわりにうまくないのに、さすがはトロピカルフルーツの本場だ。 ・・・あっ、さては! 日本には出来の悪いやつばっか輸出して、いいのは自分たちで食ってるな? そうか、そうに決まってる。僕がタイ人ならそうする。くそぅ、やるなタイ人め。
だが、これでわかったことがある。タイはB級グルメパラダイスだ。さっきのシェイク屋台はうまい、めし屋台もうまい。ワット・ポーの近くで入った安食堂もうまい。パイナポーは言うに及ばず。タイにいる間、食い物が口に合わずに困る、といったことはなさそうだ。これだけうまいものに囲まれながらもそもそとコンビニフードをほおばっていた自分が滑稽に思える。
あれ、そういえば・・・今気づいた。会話はまったく問題なかったなぁ。
今日は僕の提案ルート。バンコク市内をうろうろし、ルンピニー公園でなまず目がけてパンくずをばらまいてみたり、スネークファームで首に大蛇をかけられてみたり、みやげ物屋でサソリとタランチュラの標本に腰を抜かしてみたり。何をするでもなくだらだらと時間をつぶした。これでいいのだ。本日のメインイベントは夕方からなのだから。
そうこうしているうちに陽が落ち、バンコクに黄昏時が訪れた。そろそろか。僕とまゆはどちらからともなく目配せをすると、通りがかったトゥクトゥクを止めて乗り込み、とある場所に向かった。
とある場所の前には大勢のタイ人がたむろしていた。そのほとんどが男だ。得体のしれない活気があり、どことなくガラが悪いような感じもする。
「イーーーーッ!」
突如、エキサイトした一人が奇声を上げた。まゆの表情がこわばる。少しおびえているようだ。しかし、僕はもっとおびえていた。おおお、落ち着きたまへよききキみたち。
ちびりつつも、タイ男たちの間をすり抜けて前進する。ここを抜けないことにはとある場所には入れない。窓口でチケットの購入に成功すると、人目を避けるようにこそこそと2階席へ入場した。
とある場所は、今にも破裂せんばかりの熱気を孕んでうごめいていた。その発生源であるヒートアップした観客たちは、リング上の選手が蹴りを放つたび、喉も裂けんばかりに声をあげる。どちらが勝つか賭けているのだ。
ビシッ!「イーーーーッ!」
バシッ!「ウーーーーッ!」
ドガッ!「イーーーーッ!」
バチッ!「ウーーーーッ!」
彼らの声援を背中で受け止め、白熱した戦いをくり広げる二人の男。スリムな褐色の体に浮かんだ汗がカクテルライトを反射して飛び散り、粘っこく流れるタイの民族音楽が戦士の動きに合わせて時には高く、時には低く奏でられる。場内はそう広くはない。2階席からでもリングはすぐそこだ。
金網で隔てられた3階席からは、ギャンブル目当てで観戦している男たちの怒声が遠慮なく降り注いでくる。ぶち破らんばかりの勢いで金網にしがみつき、がなりたてるおっさん。入れ歯を飛ばしそうになりながら絶叫するじいさん。顔面を鮮血に染めて膝をつく選手。ひときわ大きくなる狂騒。頭上から氷水が降ってきた。飲みかけのジュースだ。肩を落とすおっさん。笑いが止まらないじいさん。飛び交う100バーツ札。タイでは賭博はご法度だそうだが、場内警備の警官もここでは見て見ぬふりだ。知らなかった、人間はここまで熱狂できる生き物なのか!
ムエタイ聖地のひとつ、ラジャダムヌン・スタジアム。場内は興奮のるつぼと化し、僕たちはただただ圧倒されていた。ここの連中と比べれば、甲子園の阪神ファンなどはまるでとっちゃん坊やの集まりだ。これが本場のムエタイか・・・。すごい、すごすぎる! しばらくの間、僕たちは会場の熱気にあてられたかのように、命がけの寸劇を見守っていた。
一つの試合に幕が下り、場内に嵐の前の静けさが訪れた。大きく息をつき、ふと時計を見るともうけっこうな時間になっていた。まゆに声をかけ、スタジアムを出る。次の試合が始まったのだろう、背後から地鳴りのような歓声が聞こえてきた。
外はすっかり暗くなっていた。あちこちで輝くナトリウム灯があたりをオレンジ色に染めている。客待ちをしていたトゥクトゥクをつかまえ、カオサンへ。生ぬるい大気がよどむ南国の夜。熱い漢たちの宴にのぼせた体はなかなか冷めることがなかった。
例の屋台で遅い夕食をとった。
「すごかったね、ムエタイ」
「うん」
「格闘技好きなの?」
「うん、まぁ」
僕の口数が少ない原因はヘタレのせいだけではなかった。
カオサンに戻るトゥクトゥクのなかで、まゆは「明日にはバンコクを発つつもり」と言っていた。もうお別れなのか。いやだ。もっと一緒に旅したい。
さりげなく聞いてみたつもりだったが、傍から見ればそれはぎこちないものだったかもしれない。
「あ、明日からどうするん?」
「ん? チェンマイに行こうかと思ってるんだけど。トレッキングがおもしろいんだって。だいすけは? まだバンコクにいるの?」
「・・・・・」
チェンマイはバンコクから約700キロの北にある、山に囲まれた古都だ。まゆはそこへ行くという。僕はどうしよう。特に予定はない。旅したい街も思い浮かばない。が、一緒に旅したい人なら目の前にいる。どうすればいいんだろう。
屋台にいる間、僕は完全に上の空だった。おいしいはずの料理はなんの情報ももたらさず、楽しいはずのまゆとの時間はただ空疎に過ぎてゆく。それどころか、残された時間の少なさを考えると、空疎は時に痛みすら帯びた。
僕はどうするべきか。考えるまでもない。答えならもうとっくに出ている。出ているのだ。出ているのに・・・それを言葉にする勇気が絶望的に足りなかった。
「じゃあ、そろそろ」
まゆが席を立った。もう会えなくなってしまう。
・・・いやだ!
爆発した思いがほんの一瞬、殻を打ち破り、
「・・・僕も行く」
それだけをなんとか絞り出すことができた。僕の逡巡など知るよしもない彼女はそれを聞いてさらっとひと言、
「そうだね、行こっか」
ベッドに寝ころび、つい先ほどのことを考えていた。
自分の口からあんな大胆なセリフが出てくるとは思ってもいなかった。ここぞというところで引っ込み思案に邪魔されて言いたいことが言えなかったことなどは過去にいくらでもあった。今までの僕ならあんなことは言えなかったはずだ。日本にいたときですらできなかったようなことを、日本から遠く離れた東南アジアでなぜできたのか。
思うに、「日本じゃないのにできた」のではなく、「日本じゃないからできた」のではないだろうか。異国で過ごす日常とはすなわち日本で生きてきた僕には非日常であって、目の前で起こるすべてがどこか夢のなかの出来事のように思えるところがある。なんというか、現実感に乏しいのだ。それが僕のヘタレな精神に麻酔のような酩酊のような作用をもたらし、日本にいる時にはしたくてもできない、あるいはしようとすら思わないことができたり思いついたりするのだろう。旅に出ると開放的になる、などというのもこのへんが原因かもしれない。
人は誰しも心のどこかに変身願望を抱いているという。異国の旅はそれを叶えてくれるのだ。そのことを実感でき、しかも、さらなるまゆとの時間までも得ることができた。いつ以来だろう、こんなに胸が高鳴るのは。なんか、まともな人間になったみたいだ。
もしかしたら、変われるかも。
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3章 お別れのち再出発 | 1.かんちがい終了 | 2.僕の深夜特急 | 3.変態inノンカイ | 4.動物三昧ナコンラチャシマ |
4章 引きこもり 日本へ帰る | 1.静けさの前の嵐 | 2.羽化 | あとがき |