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チェックアウトを済ませ、バスターミナルへ向かおうと荷物を背負い直していると、後ろから声がかかった。この宿の日本人女将さんだ。
「どちらへ行かれるんですか? バスターミナルですか?」
「ええ。スコータイへ行くつもりなんです」
まゆが快活に答える。
「だったらバスターミナルまでお送りしますよ」
なんと、親切にも無料の送迎つきなのだった。旅の、そしてその土地の印象は泊まった宿によっても大きく変わる。バナナゲストハウスはタイとチェンマイ、双方の印象をよりよいものにしてくれた。
昼過ぎに定刻を少し遅れてチェンマイを出発したバスは野を越え山を越え川を越え、約6時間かけてスコータイに到着した。ここが終着点ではなかったようで、バスは僕たちの他に数人の乗客を降ろすとそのままどこかへ走り去った。
今回のバス移動は時間の短いぶん肉体的には前より楽だったが、初めての町に着いたのが夜となると精神的には楽とは言えない。不安を振り払うように、光を求めて街灯の下へ移動する。とりあえず現在地を把握しなければ。
地図をひろげ、周囲を見渡す。高層建築といえるものがほとんどなく、あか抜けない建物がどんよりと建っているばかり。夜とはいえまだ8時をまわったばかりだが、町は静かで人通りも少なく、けばけばしいネオンサインなどもほとんど見られない。いかにも田舎町といった風情だ。
あそこにロータリーが見える。で、ここが川にかかる橋のすぐそば。ってことは・・・。だいたいこのあたりか。よし、ここからなら女将さんに教えてもらった宿も近い。ラッキー。
まゆを従え、歩き始めた。彼女は旅のベテランながらも方向認識能力では僕に大きく後れをとるので、こういう時はついて来ざるをえない。まるで親ガモになったようで非常に気分がよろしい。ふふん。
5分も歩かないうちにおすすめ宿、バン・タイゲストハウスに着いた。交渉はまゆの独壇場。僕がいばれるのもここまでだ。ちっ。短い主導権だった。
「すみませーん、あの・・・」
フロントには誰もいない。どうしたものか。
きょろきょろしていると、そこへ白人男性の宿泊客が通りがかった。手には缶ビールを持っている。ごきげんさんですね。
二人の旅人と目が合うと、彼は口を開いた。
「Check In?」
宿の人でしたか、おみそれしました。
次の日。いつもより早め、7時過ぎに起き、ロビーでまゆを待つ。
本日の目的地はガイド本によるとかなり広いらしい。じゃ早めに行こっか、と早めに出発することは昨日のうちに決めておいたのだが、しまった、時間を決めてなかった。こっちにまでタイののんびりした空気が伝染してしまったかな。ま、いつも十時だったことを考えると8時ぐらいには来るだろう。1時間早めではあまり意味ないからねぇ。この宿もロビー食堂みたいだし、朝食でも食べながら待つとするか。それでも来なければ起こしに行けばいい。しかし宿で食事をとれるのは便利だ、ここにしろチェンマイの宿にしろ・・・。
あ! チェンマイで思い出した。チェンマイへ向かう時、トイレ休憩で買ったあれ、ドリアンソーセージ! あれが携帯用ザックのどこかに・・・あった。これでも食べながら待つとしよう。賞味期限は・・・えーっと、西暦2544年・・・なんだこりゃ。西暦2544年??? 超未来じゃないか。あ、そうか。タイ国内は西暦じゃなくて仏暦を採用してるんだっけか。ってことは、と。 ・・・よし、賞味期限おk。
ソーセージ風の包装をピリピリとむいていると、異様なにおいが鼻をついた。気のせいか、なんか臭いような。どこから・・・って、これか!
ドリアンソーセージは、なんというか、とんでもない臭気を放っていた。
おいおい、腐ってはないはずだろ。いや、これは・・・くさっ! いやいや、マジでくさいぞこいつは! 本物のドリアンのにおいは知らないけど、そうか、くさい果物はドリアンだったのか。アボカドだと思っていた。これは食料と判断していいのか? いやいや待て待て、においだけで判断するのは犬でもできる。納豆だってくさいがうまい。これだってそうかも。 ・・・否! だめだこりゃ! 大腸菌でも死ぬぞこれは! とは言っても・・・どんな味か知りたいとも思う。ちょっとだけなら大丈夫かな?
とはいえ、脳内で鳴り響く警報を無視できるほど勇ましい人間ではない。しばらくはペロペロと表面をなめて様子を見ていたが、それでは味がよくわからないばかりか、なんというかこう、男がソーセージ型の物体に舌を這わせている姿はビジュアル的にもまずいものがある。
ええい、もう知るか! 1%の可能性に賭ける! いざ尋常に勝負! 意を決し、一口だけかじり取って咀嚼してみた・・・
ブッホォォぉォオァアぁア! ブホッゲハッけろっボトッ!(←むせて床に落とした音)
・・・シェフを呼びたまえ。なんだこの凶悪な味は! 激マズスティックと名付けるぞ! うは甘生臭wwwww 一体これのどこが果物の王様なのか。ちっとはパイナポーを見習えよ。ああ、やられた。やっぱりまずかった。賭けは負けだ・・・。
まゆがやってきた。
「おはよう、早いね。 ・・・どうしたの?」
「男には負けるとわかっててもやらなあかん時がある・・・」
「???」
首をかしげるまゆを尻目に口直しのタイ風オムレツをかき込んだ。
スコータイは小さな田舎町のくせに、いっちょまえに新市街と旧市街に分かれている。
宿のあるあたり、言い換えれば町として機能しているエリアが新市街になる。建物を見ているとあんまり新しいようには思えないが、ガイド本にそう書いてあるので新しいのだろう。
旧市街は寂れていて、現代の町としての機能はとぼしいようだ。そのかわりに素晴らしいものが存在している。それが今向かっている、世界遺産のスコータイ遺跡群だ。
トラックの荷台を座席に改造したソンテウという乗り物に揺られ、遺跡公園に到着した。そういえば世界遺産に入るってのは日本も含めて初めてだ。
荷台から降りる。ゲートはもうすぐそこだ。さぁ見学に行くか、と歩き出・・・したのとほぼ同時にざわざわとした喧噪が耳に届いた。このタイ語の会話と荷車のきしむ音と人々の足音がブレンドされた心地よい喧噪は・・・市場だ! しかもこんなところにある割には売り物がどう見ても観光客向けじゃない! こいつはおもしろそうだ!
「ほら、そこ、市場。ちょっと、見てくる」
興奮のあまりまゆにかける声もインディアン調になる。彼女もどうやら興味を惹かれたようで、結局はついてきた。1時間後に入り口で落ち合うことに決めて一旦別れ、僕たちは気のおもむくままに市場散策を開始した。
ここはおもに衣料品と食料品の市らしい。チェンマイのナイトバザールで何度となく見かけたみやげ物のたぐいは一つとして置いていない。地元の人向けとにらんだ読みは正しかったようだ。む、あのでっかいタライはなぜかガタガタ揺れている。なんだあれは。
近寄ってのぞき込むと、大ナマズが仲間数匹と泥レスリングをやっていた。タライの正面にはかっぷくのいいおばちゃんが陣取り、皿のような目で真剣に吟味している。しばらく悩んだ後、一番活きのいい右端のやつを指さした。
一つうなずくと、店番のばあちゃんはどこからか棍棒を取り出してきて・・・ゴン。頭を殴られたナマズはぐったりと動かなくなった。うわちゃ。見てる方も痛い。大ナマズをぶら下げ、意気揚々と家路につくタイのおかん。ナマズってうまいのかな? 食ってみたいような気もする。
こちらではトウガラシが山のように積まれている。赤いものもあれば緑のものもある。英語表記などないのでよくわからないが、各山の前に出された札にそれぞれちがったタイ文字が書かれているところをみると、こっちは高級品でこっちは廉価品、などと種類ごとに分けられているのかもしれない。全部同じように見えるのだが。
遠巻きにしてトウガラシを観察する外人がめずらしかったのか、トウガラシ屋のおっちゃんが手まねきする。ん? なんだ?
おっちゃんのもとに歩み寄ると、彼は山からトウガラシを一つ取り出し、こっちに差し出した。え? 食ってみろって? トウガラシって料理とかに入ってるもんであってそのままかじるようなもんじゃないだろ。しかし悲しいかな、僕は典型的なノーと言えない日本人。そんな僕にできることといえば、差し出された赤トウガラシをおずおずと手にとり、少しかじってみるぐらいだった。 ・・・あれ? 意外とたいしたことないな。そういえばトウガラシは緑のが辛いんだったな。なんだ、この程、度・・・なら・・・。
ほ。ほほっ? ほフぉ。ホォオオォォオォ! ィヤアァーーーーーーーーーーーオ!!!
心のなかでマイケル・ジャクソンばりの奇声を上げてのたうちまわる。手を叩いて喜ぶオヤジ。へ、へめー! ひゃにひひぇふえほんへん!(て、てめー! なにしてくれとんねん!)水、水水水水!
トウガラシ屋の横の露店では、店主のおばちゃんが同じように笑っている。彼女は爆笑しながら、ピンポン玉大の白い何かをこちらに差し出した。こ、今度はなんだ?
脳髄を直撃する赤い嵐と戦いながら、白い物体を受け取る。たぶん果物だ。食えってことだな?だな? だな? ちがうって言ってももう遅いからなアハァーーーーーーー!
急いで口に放り込み、噛みつぶす。と同時にさわやかな水分がいっぱいに広がり、燃えさかる炎を鎮火していく。んんっ、なんだこれは? パイナポーのような鮮やかなものではないが、優しくほのかな甘さだ。
辛さが治まったところで、あらためて彼女の前に積まれた謎の果物を検分してみた。実の大きさと、食べる前に殻をむくという点ではライチに似ている。しかしワニ皮のような外見のライチに対しこの果物は赤緑色の触手のようなヒゲのようなものがわらわらと生えている。なんともグロい。こんなことでもなければまちがっても食ってみようとは思わなかっただろう。このなかにあんなうまいものが入ってるとは。食べ物の味は見た目ではわからないものだ。
お礼の意味もかねて買うことにした。一山の前に出ている札の数字は20。この一山で20バーツか。でもこれは多すぎる。その半分でおやつにジャストな量だ。身ぶり手ぶりでなんとかそれを伝え、10バーツを払って半分の量を袋に入れてもらった。これでもけっこうな量だ。ガイド本で調べてみると、この果物はランブータンという名前だった。ランブータンをほおばりながら市場散策を再開する。
おいおっさん、そのみかんは売り物だろうが。食うな。売れよ。
タイの商売人は客を待ちながら売り物に手をつけてしまう。こんなこともザラなのだ。大阪でいうと、焼けるや否や自分で食ってしまうたこ焼き屋。 ・・・プッ。ありえん。ところ変われば品も習慣も変わる。これだから市場めぐりはやめられない。
約束の1時間はあっというまに過ぎ去った。まゆと合流し、今度こそ遺跡へと向かう。僕の持っている袋に気づいたまゆが聞いてきた。
「なんか買ったの?」
「これ。うまいよ」
袋から出して見せる。
「えっ、何それ? ・・・果物? なんか気持ち悪い。よくそんなの食べれるね」
なんだとこの虫食人が。
「あーあもったいない。うまいのに」
僕が機嫌よくたいらげているのを見ると、彼女はおそるおそる袋から一つ取り出し、殻をむいて口に入れた。
「ん、おいしい!」
「やろ?」
偶然に偶然が重なった結果知ることになった、グロテスクな果物の味。この市場に寄らなければ、トウガラシ屋のおっさんがいたずら心を起こさなければ、ランブータン屋のおばちゃんが仏心を出さなければ、いやそれどころか、まゆに、ありさに、あの本に出会わなければ知ることなどなかったであろう得がたい体験、極上の味、そして素晴らしい世界。考えてみればそれらを知るきっかけになったものはすべて人であり、人のなした業だ。僕という引きこもりが今ここでこんなことをしているというのは、なんという大量かつ様々な偶然の産物なのだろうか。不思議に思うと同時に、別の偶然をたどってこんな人間じゃないように育った僕がもしいたなら、そいつは今頃どこでどんな体験をしているのだろうか。などと、知るすべもない、普段なら考えないようなことまで考えてしまう。
もしかして人間って、現実って今まで思ってたより楽しいのかな。
隣を歩き、笑顔でランブータンの殻をむくまゆ。彼女を眺めながら、そういうことになった偶然の連鎖をたどっていくと、そんな考えに行き着いた。もしかしたら今のこういう瞬間こそが「人間の生活というもの」なのかもしれない。だとすれば、少しは見当ついた、かな・・・?
市場から遺跡公園まではすぐだった。とりあえずは城壁にかこまれた中心エリアから見てまわることにした。
さすがは世界遺産、静かで落ち着きのあるいい公園だ。どこからどこまでかわからないほど広い敷地のあちこちに赤茶けた寺院の遺構がぽつぽつと建っているのが見える。明るく開放感のある園内にはよく手入れされた芝生や花壇、池が配されていて、まるで時間までがゆったりと流れているようだ。
左手にひときわ大きな遺構が見える。地図によるとスコータイ遺跡群で最重要とされている寺院、ワット・マハタートだ。著しく風化したラテライト赤土製の遺跡に足を踏み入れる。支えるべき屋根を失い、自身もボロボロに傷んでしまった石柱の数々が時の移ろいを感じさせる。祇園精舎の鐘のこえ音、諸行無常の響きあり、か。タイ族として初の王朝、スコータイ王朝の最大寺院として隆盛を極めたのも今は昔の物語だ。
荒れ果てたいくつもの仏塔や礼拝堂は、基礎の部分に彫られた遊行仏が目立つ。遊行仏とは普段は立ったり座ったり寝ころんだりしている仏様の歩いている姿を模したものだ。民を度してまわるために自ら歩き始めた仏がモチーフで、スコータイ様式の特徴の一つだそうだ。
それらを眺めながら進むと、奥には大仏があった。ここも屋根は失われている。長年の風雨にさらされた大仏は原形をとどめているものの苔むし黒ずみ、往時の色彩は見る影もない。スコータイ王朝が存在した700年前の今日も誰かが今の僕と同じように、この寺院のこの場所にいたのかもしれない。男だろうか。女だろうか。やはり僧侶だったのだろうか。もしかしたら、行商の途中で商売繁盛を祈願しにきた商人だったかもしれない。いや、ひょっとすると・・・。崩壊した遺跡のただなか、日の本の国から来た旅人の妄想はつきることがない。
ワット・マハタートのすぐ向かいにあるのが、大きな池のなかに建つワット・サ・シーだ。ゴトゴトと音を立てる木製の橋を渡って島に上陸すると、釣り鐘型の見事な仏塔が目に入る。その周囲にめぐらされた花壇は色鮮やかで、水にかこまれた島の木陰はひんやりと涼しい。よし、ちょっと休憩。ランブータンを食べきってしまおう。足りなければ帰りにまた買えばいい。
一息つき、再び歩き出す。地図はポケットのなかだ。こんなにもまったりした公園で、次はここ、その次はここ、と行き先をバッチリ決めてしまうというのは野暮というものだ。ガイド本の見どころはガイド本を書いた人が「ここは見どころだ」と思っただけであって、読む人にとっては別の場所こそが見どころかもしれない。気の向くままに歩いて目についた遺跡に入ってみる、というスタイルこそがここではふさわしいように思えるのだ。
次に訪れたワット・スラ・サックの仏塔は一風変わっていた。それ自体はよく目にするものだが、台座を支えているのはなんと切り出した岩を彫って造られたゾウたちだ。
「昔は戦争にゾウを使ったらしいから、なんか関係あるのかもね」
どこからか仕入れてきた知識を披露するまゆ。するとこのゾウたちは過去の戦争で戦果を上げた英雄なのかもしれない。ゆっさゆっさと巨体を揺らしながら戦場を歩きまわるゾウたち。
・・・・・・・・・。
公園の雰囲気のせいかはたまたゾウたちの鼻の上に供えられたバナナのせいか、なんとものんびりした戦いを想像してしまった。
ぶらぶらと歩いているうちにいつのまにか城壁の外に出ていたようだ。ここらあたりになると木々の緑はその濃さをさらに増し、放牧された牛たちの姿もちらほらと見受けられる。牛もこちらを見ている。
堀の水面を彩る蓮の花を愛でながら道なりに進む。やがて見えてきた建物の外壁に目をやり、ドキッとしてしまった。
でかい顔がこっちを見ている!
おそるおそる近寄り、謎が解けた。外壁の一部が縦に細長く切り取られ、そこからのぞく大仏の顔がこちらを睨んでいるように見えるのだ。わかってしまえばなんてことはないが、あらかじめ知っていないとビックリしてしまう。
建物内部に歩を進める。今までの遺跡と比べると保存状態は良好だが、例のごとく屋根はない。なかは大仏を納めるのが精一杯といった広さだ。大きさカツカツの箱に仏像を詰め込んでふたを取り去ったような感じ、といえば近いだろうか。そのため、比較的スペースの空いている膝元にいると常に見下ろされている形になる。まるで壁と大仏が迫り来るようだ。
おそらく設計者は御仏の威光を演出するためにこの効果も計算に入れたのだろう。いい仕事してるねぇ、設計者さん。あんたの設計、数百年経った今でも威圧感たっぷりだよ。そんな思いが浮かぶ。遺跡を見学するということは時空を旅することでもあるのだ。
過去への旅を終えて宿に戻ると、ロビー食堂で少し早めの夕食をとった。その後まゆは部屋へ、僕はすぐ前を流れる川のほとりへ。それぞれの時間を過ごすべく、テーブルを立った。
堤防に腰かけ、川面に目をやる。水面とかたき火とかを見ると無心になれるような気がして好きだ。
ヨム川はさらさらとせせらいでいる。黄土色に濁ってはいるものの水中には無数の魚影が見て取れる。おっ、跳ねた。元気いいな。
この川はまるでこの国そのもののようだ。水は濁り岸は草ぼうぼう。川幅も狭く、まったくもって見栄えがしない。でも、そこに暮らす生物たちはそんなことを意にも介さず、元気いっぱいに生を謳歌している。眼前に広がる光景は、何かにつけ他人の目を気にし、日々下を向いて生きる僕を優しく諭すかのようだった。
・・・そうか、それでいいんだ。
見た目は悪いかもしれないが、この川は元気だ。川に見た目の美しさを求める人からすれば、この川はダメ川だろう。しかし、川にあふれる生命力を求める人からすればこの川はいい川だ。あるものを評価する時に何を基準にするかは人によってちがう。僕のような人間は誰かからすればダメ人間かもしれないが、また別の誰かからすればもしかしたら評価するべき何かを持っているかもしれない。他人が自分のどこを評価するかを自分で勝手に決めて勝手に縮こまってしまうのはなんかもったいない、というか損してるような気がする。
それに、欠点やコンプレックスは誰にだってあるだろう。が、見られたくないので隠したり欺いたりしている。けど、自分のそれは自分からはよく見えすぎるのでどうしても気になってしまう。致命的に思える。でも、他人のコンプレックスが見えにくいように、僕のコンプレックスも他人には完璧に把握されたりしていないはずだ。うん。なんというか、気にしすぎだろう。このシチュエーションのせいか、いい意味で力が抜けているみたいだ。
衆生を救済して歩くというスコータイの遊行仏が僕のところまで来てくれたのだろうか。心のドアの隙間からほんの少しの開放感が流れ込み、淡い温もりを残して胸に広がってゆく。
そして、どさり。また一つ、肩の荷が下りた音がした。
旅を始めてからというもの、心の重荷は減る一方だ。その急激な変化は今までに体験したことのないようなもので、時にはそれがおそろしくすら感じられるほどだ。しかし、えてして人間は初めて接するものに不安を覚え、敬遠してしまうものだ。僕は今、いい方向に向かっている。そう言い聞かせ、弱気の虫にフマキラーを浴びせ続けてなんとかここまで来た。そうすることによって、不安の下で光を放っている「新しい自分」の輪郭があらわになるのだ。
さて、そろそろ戻るか。携帯用ザックを開けると、パスポートの下敷きになって折れ曲がった帰りの航空券が見えた。そういえばそろそろ期日か。すぐにバンコクへ戻れば日本へ帰れる。
当然、そんなつもりはなかった。こんな楽しい旅に幕を引く航空券など今は必要ない。タイに着いた時はこれがお守りみたいに思えてたのに。少なくとも今の僕は十日ほど前の僕とはちがう自分になってるんだ。
迷いもあったが、必要ないものを持っておく道理もない。航空券を取り出してビリビリに破ると、あたり一面にまき散らしてやった。過去の遺物が黄昏時の空に舞い、そして消えていく。
これでまた新しい自分に出会えるはずだ。
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2章 うれしはずかし二人旅 | 1.かんちがい開始 | 2.ネアカの街 チェンマイ | 3.スコータイの仏 | 4.アユタヤの人 |
3章 お別れのち再出発 | 1.かんちがい終了 | 2.僕の深夜特急 | 3.変態inノンカイ | 4.動物三昧ナコンラチャシマ |
4章 引きこもり 日本へ帰る | 1.静けさの前の嵐 | 2.羽化 | あとがき |