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ガチャン。ドサッ。ざわ・・・ざわ・・・。バサッ。
ひっきりなしの雑音で目がさめた。うーん・・・。なんなんだ、朝っぱらから。
カーテンを少し開けてみると、次の駅で降りるであろう乗客たちが荷造りをしていた。
そのなかにはクンたちの姿もあった。放っておこうと思っていたのだが、目が合ってしまった。仕方ない、挨拶でもするか。
「おはよう。降りるん?」
「おはよう。うん、もうすぐ駅だから」
その言葉どおり、列車はほどなくしてウドンタニの駅に停車した。ホームには出迎えの人たちがたくさん来ている。
「じゃ、さよなら。ウドンタニに来たら電話してね」
「うん、できればね」
電話することはないだろう。しかしそれは言わなかった。
ホームに降り立った彼女らを、満面の笑みをたたえた中年の男女が出迎えた。クン姉妹の両親なのだろう。娘を見つめるまなざしは慈愛と誇りに満ちていた。いいなぁ。僕は今も昔も両親には迷惑かけっぱなしだ。帰ったらちょっとは親孝行でもするかな。
列車が動き出す。こちらに気づいたクンが手を振ってくれた。
それから1時間ほどして、終着駅ノンカイに着いた。時計を見ると・・・10時前。2時間近く遅れていることになる。この国はなんでもアバウトだ。いや、日本がきっちりしすぎてるんだ。旅を続けるうちに、その思いはだんだんと強くなってきていた。
駅前には列車の乗客目当てのトゥクトゥクがたくさん停まっていた。一歩駅の外へ出ると、我も我もと運ちゃんが寄ってくる。あたりは乗客と運ちゃんで大混雑だ。どこかで見たな、こんな光景。そうか、空港から出ようとしてた時だ。あの時はこわくてトイレに逃げ込んだけど、今ならなんてことはない。そのなかの一人と交渉し、適当な宿へ連れて行ってもらうことにした。
ノンカイの市街地は駅から少し離れたところにあるようだ。駅からしばらくは何もない草原が続いた。
5分ほど走り、ようやくそれらしきところに出たが・・・。うーん、田舎。地図によるとこのプラジャック通りがメインストリートらしいが、それがこの有様では・・・。町の規模からいえばスコータイ級? いや、それ以下かな? 道行くバイクや車ものんびりトロトロと走っている。バンコクとはえらいちがいだ。
運ちゃんおすすめの宿、プラジャックバンガローは素晴らしい宿だった。広くて清潔な部屋、そしてベッド。これならいくらでも寝れる。よし、毎日15時間は寝るぞ。床はありがちな汎用タイルではなく、多少古くはあるものの丁寧にワックスがけされたフローリングだ。土足で歩くのが申し訳ない。おまけにテレビまである。ムエタイが見れるじゃないか! これで260バーツは安い。さすがは田舎だ。僕はすっかりこの宿が気に入ってしまった。
じゃ次は町の探索だ。荷物を置き、外へ出る。
ノンカイの町は歩いてまわれるほど狭かった。が、そのかわり何もない。フォローになってないが、事実なので僕にはどうしようもない。目立つものといえば、屋根に大仏をいただいた豪快な寺院ぐらいか。まだ建設途中のようで、見物の人でごった返している。これはいいランドマークになりそうだ。
しかし、探せばあるものだ、おもしろいものは。それまでに見たことのない店があった。釣具屋だ。こんなのタイへ来て初めて見た。そうか、ちょっと北に川があったな、メコン川が。どうせひまを持てあましているのだ。釣りでもするか。
田舎町の釣具屋ということで期待はしていなかったが、店内は日本で見る釣具屋のように整然としていて、品揃えは意外に豊富だった。コイ釣り用の吸い込み仕掛けみたいなものもあるが、ここは昔取った杵柄でいこう。以前バス釣りにはまっていたのだ。悪い予感が頭をよぎったが、それは一瞬のことだった。昔そうだったからといって今もそうだとは限らない。それにルアーを売っているということは、ルアーに食らいつく魚がいるってことだ。安いロッドとラインつきのリール、それにルアーを二つばかり買うことにした。
メコン川を目指し、北へ進路を取る。やがて東西に走る細い路地に出くわした。それに沿う形でゲストハウスや食堂、みやげ物屋などが軒を連ねている。町の規模に合わせたのかどれもこじんまりとしていて、田舎町のひなびた風情がある。活気がないぶんのんびり過ごすにはよさそうなところだ。
路地を東に進む。左手に堤防が見えてきた。よいしょっ、とよじ登る。大河メコンはこの向こうだ。
そこにはチャオプラヤをさらに茶色くしたような川が横たわっていた。これがメコン川か。確か最終的にはベトナムまで流れてるとか流れてないとか。それにしてもなんて色だ。ここまでくるともうカフェオレだ。
対岸には森が広がり、そのなかにぽつぽつと建物が建っているのが見える。あそこはもうラオスだ。異国で異国を眺めながらの釣り。そう経験できることじゃない。よし、始めるか。何が釣れるのかな?
堤防の切れ目から川岸へと下り、ルアーをキャストする。カリカリカリカリ・・・。当たりなし。ま、そう簡単にはいかんか。ルアーフィッシングの基本はラン&ガンで手返しよく、だ。どんどん行こう。
ヒュッ。ポチャ。カリカリカリカリ。すたすた。
ヒュッ。ポチャ。カリカリカリカリ。すたすた。
ヒュッ。ポチャ。カリカリカリカリ。すたすた。
ヒュッ。ポチャ。カリカリカリカリ。すたすた。
ヒュッ。ポチャ。カリカリカリカリ。すたすた・・・。
なぜだ、なぜ釣れん!? ここは死の川か!?
3時間後。僕は半泣きになりながらルアーを投げていた。そんな僕をあざ笑うかのようにすぐ近くで魚が跳ねた。ムキー! バカにしやがってチクショー!
その時、さっき脳裏をかすめた予感の正体を悟った。ああ、そうか。そういえば昔もそうだったな・・・。
大学時代、まだ本格的に引きこもる前のこと。西日本のメッカ琵琶湖が近いということで、バス釣りにのめり込んでいた。しかし琵琶湖のバスは釣り人慣れしていて、そう簡単には釣られてくれない。そこで釣りと平行してデータを集めていくことにした。水温、天候、風向きなどを事細かに記録して釣り場をチェックし、生態を調べ上げ、釣り情報誌に目を通し、TV番組もよく見ていた。すべては50センチ以上の大物、ランカーバスに出会うために。当時、一緒に行動していた知人はそんな僕のことを、畏敬の念を込めてこう呼んだ。「プロフェッサー」と。しかし、僕は誰に聞かれても過去にしとめた獲物のサイズを明かすことはなかった。
いつしか、琵琶湖に集うバサーたちの間では様々な噂が流れるようになった。
「プロフェッサーは60センチのを釣り上げたことがあるらしい」
「そりゃあるだろ、プロフェッサーなんだから。俺は80センチ級を上げたって聞いたぞ」
「いや、釣り上げた瞬間水位が3センチほど下がったって大物が・・・」
とは言われていなかっただろうが、とにかく僕は必死でデータを取っていた。しかし、何があろうとサイズだけは決して言わなかった。言えなかったのだ。なぜなら、僕の最高記録は22センチだったからだ。しかも数も、合計で3匹釣っただけ。3ヶ月ほどでバス釣り自体もやめてしまった。
僕にとってルアー釣りとは、いくら情熱を傾けても報われることのない不毛な遊び。そんな大事なことをすっかり忘れていたのだ。
はぁ。何やってんだ。南国の炎天下を3時間もぶっ通しで。もう日が暮れそうだし、ぼちぼち帰ろうか・・・。と、半ばあきらめつつ無気力にルアーを投げていたその時。ガクン。何かが引っかかった。そして次の瞬間! ルアーが沖合へと走り出した! まるで水曜スペシャルばりのグッドタイミングで魚がかかったのだ! ここで遇ったが百年目、絶っっっ対に逃がさん!
少しドラグをゆるめ、ラインを出す。どんな魚かはわからない。が、引きは強烈だ。ルアーをくわえたままカフェオレ色の水のなかを縦横無尽に暴れ回る。やるなコイツ。引き絞られたラインが風を受けてキリキリと悲鳴を上げる。たのむから切れてくれるなよ!
気がつけば、近くでひまそうにしていた2、3人が固唾を呑んでファイトを見守っていた。見よ、これぞサムライフィッシング! ギャラリーを意識して強引にリールを巻いてしまいそうになる自分を叱りとばし、バラさないよう慎重かつ大胆にロッドとリールをあやつった。
・・・よし、寄ってきた。意外と早かったな。けど油断大敵、もうちょっと、もうちょっと・・・。よっしゃ、上がった!
健闘をたたえる拍手が降り注ぐ。僕は有頂天になった。ありがとう、ありがとうみなさん! 胸を張って獲物に歩み寄った・・・が。獲物を見下ろし、固まった。知る限りでは雷魚のような形だが、この際形は関係ない。サイズだ。どんな魚であれ、50センチを下回ることはないと思ってたのに・・・。大物を釣り上げた経験がないゆえの悲劇。
そいつはやはり、20センチもなかったのだ。
思わず川に蹴り込んでしまいそうになったが、すんでのところで思いとどまった。いくらなんでもそれはかわいそうだ。しかし、僕もかなりかわいそうだ。ていうか恥ずかしい。
すぐ隣にはいけすがある。何かを養殖しているのだろう。ルアーを投げ込みたい衝動に駆られたが、そんなことをしようものなら日本人の評判を著しく落とすことになってしまうだろう。またしても頭上の日の丸がはためき、断念せざるをえなかった。
結局、バスであろうが雷魚であろうが針にかけるのは幼魚ばかり。なにも魚相手にまでロリコンっぷりを発揮しなくても。
振り返ってみるとギャラリーはいなくなっていた。変態フィッシャーに愛想を尽かしたようだ。なんたる屈辱。はぁ~~。自然とため息がもれる。とりあえず針を外してやるか。うわっ、きっつい歯だな。バスにはこんな歯ないのに。かまれたりしたら踏んだり蹴ったりだ。慎重に針を外し、川に投げ込もうとすると・・・
「オイ、オーイ!」
後ろから声が飛んできた。帰ったと思っていたギャラリーがまだいたのだった。なんか用?
話しかけたというよりは思わず声に出てしまったようで、その10才くらいの少年はしばらくばつが悪そうにはにかんでいたが、やがて意を決したように「逃がすぐらいならくれ」というような身ぶりをした。食うのか? これを? そういやここはなまずが市場に並んでる国だった。まぁいいけど。
彼はうれしそうに魚を受け取ると、元気よく堤防を駆け上がっていった。
宿への帰り道、露店などを冷やかして歩いていると、本当に雷魚の焼いたのが売っていた。なんとなく悔しいので買ってみると、あっさりとした白身でなかなかの美味だった。
明くる日。昼過ぎに起きてはみたものの、これといって用事があるわけでもなく。昨日のリベンジに超級メガ雷魚を狙いに行ってみたが、ロッドは一度も曲がらなかった。
うーん。じゃ次は何をして遊ぼう。そういえばラオスとの国境があったな、この町には。よし、行ってみよう。今回ラオスへ行くわけじゃないけど、後学のために国境とはどんな感じなのか見物に行こう。
と思い立ち、通りを流していたトゥクトゥクを拾った。ノンカイは狭い町だがガイド本に国境の位置が載ってない以上、歩いていくことができないからだ。
しかしなんとこの運ちゃん、英語が通じないのだった。いくら田舎だとはいっても、ここは国境の町だ。宿やらトゥクトゥクやら外国人がよく利用するもので英語が通じないとは。バンコクのように頻繁に走っているわけではなく、別のトゥクトゥクを拾うってのも面倒くさい。なんとか伝えようとボディランゲージでああだこうだやっているうちに、彼はどうやら気づいてくれたようだ。よしよし。何の疑問も持たず、そのまま乗り込んだ。
このトゥクトゥクって乗り物は町によって形がちがう。たとえばバンコクのものとアユタヤのものは昔でいうところのミゼットに屋根がついたような感じだが、バンコクバージョンは客席乗降口が車体横にあるのに対してアユタヤバージョンは後ろだ。しかし、それでいながらアユタヤのはるか北にあるチェンマイバージョンはバンコクバージョンと同じ。ではアユタヤとチェンマイの間にあるスコータイではどうかといえば、バイクの前にリヤカーを力ずくで溶接したようなものが走っている。まったくちがうスタイルなのだ。
そしてノンカイのトゥクトゥクも記憶にないようなものだった。アユタヤバージョンの客席を簡素にしたものをバイクで引っ張るような形、といえば近いだろうか。なぜこんなにバリエーションがあるのだろう。同じ形ではいけない理由でもあるのか? 運ちゃんに聞いてみたかったが言葉がダメだったし、仮に通じたとしてもいい加減なタイ人のことだ、「いいんじゃない、別に」とかで済まされそうな気がする。このおおらかさ。こんなふうに生きていけたら楽だろうなぁ。
夢見がちなところを発揮しながら座席に揺られていると、運ちゃんは道ばたで車を停めエンジンを切った。着いたのか?
そこから見る限りでは、それらしいものはどこにも見えなかった。「友好橋」っていうでっかい橋がかかってるってことだったのだが・・・ない。人の往来は結構あるのだが。
またもやパントマイムで質問する。自信ありげにうなずく運ちゃん。彼はついでに向こうの方を指さして見せた。なるほど、もうちょっと向こうにあるんだな。乗り物で入れるのはここまで、ってことか。よしわかった。えーっと、いくらで交渉してたかな。ん、20バーツ? やっす! バンコクなら50バーツぐらいはする距離だ。20バーツを支払い、教えてもらった方向へ歩き始めた。
結構な距離があるようだ。5分歩いてもまだそれらしきものは見えてこない。
さらに5分ほど歩く。ない。 ・・・見落としたか?
Uターンし、来た道をきょろきょろしながら戻ってみたが・・・公園のようなところに出ただけで、橋はやはりない。どういうことだ。
そこで作戦を変え、人気の多い方へと向かってみることにした。なんといっても国の境ってぐらいだから人は多いにちがいない。が・・・それでもないものはない。どこにもない。影も形もない。やってくれたな運ちゃん。人の多さと雰囲気からしてまだ大丈夫そうではあるが、もうそろそろ暗くなる。できることならとっとと見物して帰りたい。
それにしても、もっと早起きした方がいいかな。たいがい昼過ぎに起きるものだから、ちょっと出歩くとすぐに陽が落ちてしまう。でもなぁ。仕事をするわけでもなく、眠くなった時に寝て、半日でも一日でも好きなだけ惰眠をむさぼって、眠くなくなったら起きて・・・食いたい時に食いたい物を食いたいだけ食って、っていう今のぐうたらリズムこそが僕にとってベストだというのもこの全身の元気ハツラツ感が肯定している。それもそのはず、この生活リズムこそ引きこもりそのものだからだ。わかっちゃいるけどやめられない。そのうちなんとかするとして、それが許される今はこれでいいのだ・・・。
ところが、今回はそれが吉と出たのだから世のなかどうなるかわからない。右も左もわからないままうろうろしているうちに、奇妙なところに出たのだった。
広場一面にずらっと並んだライトアップされたテントの数々。その下には衣類に民芸品に食料品にその他もろもろ、色とりどりの品が山盛りにディスプレイされている。少し向こうに見える池の上に飾られたイルミネーションはどうやら仏典の一節を再現したもののようで、光り輝く仏陀が鮮やかながらも厳かな姿を水面に落としている。それらの間を、この小さな町のどこにいたのかと思うほどの人数が品定めしながら歩いている。もう疑う余地はない。ナイトバザールだ! まさかこんなものに出会えるなんて! お、似顔絵描きまでいる!
国境のことなどどこへやら、僕はすっかりお祭りモードになっていた。わっしょい! ナイス運ちゃん! ガイド本にはこんな大規模な夜市があるとは書いてなかっただけに、そのうれしさはひとしおだった。
そわそわと落ち着きなく、露店の間を見てまわる。歩いているだけでじろじろ見られてしまうほど、外国人の姿は少ない。これだけの規模なのにその程度の知名度なのだろうか。
公園の中央にしつらえられたステージの上に看板があった。
『INTERNATIONAL CULTURAL FESTIVAL Amazing Mekong』
要するにただのナイトバザールではなく、国際交流のイベントのようだ。落ちていたプログラム表にはそれを裏付けるかのように「KOREA」「LAOS」などのアルファベットが並び、ステージ上の楽隊はアリランを歌っている(メコンの祭りに韓国はあまり関係ないように思えるのだが)。
思いもよらぬ形で思いもよらぬイベントに来場してしまったが、それがどこであろうと市さえ立っていれば魅力的であることに変わりはない。ついでと言っちゃなんだがアリランやラオス舞踊なども観賞し、露店エリアへと足を向けた。
露店では竹細工の店が目立つ。今まであまり見かけなかったことと地域的なことを考えると、これらはおそらくラオス物なのだろう。めし屋台もある。まだ食べてなかったな、晩めし。
混雑している屋台をチェックし、席につく。うまい店が繁盛するのはどの国でもいっしょだ。タイの屋台は一軒でいろんな種類を網羅しているところは少なく、麺屋台なら麺類のみ、粥屋台なら粥オンリー、炒め物屋台なら炒め物だけ、などとその系統専門の店であることが多い。そのかわり人の集まるところなら屋台もまたたくさん集まり屋台街を形成しているので、結局はひとところで各種料理が食べられるようになっているのだ。
テーブルについた時点では料理の種類をまだ確認していなかった。なんせうまいのはこの盛況ぶりが証明してくれているのだ、心配はない。好き嫌いが少ないのはこういう時助かる。あ、虫は除く。で、この店はなんの店かな・・・。
首をのばして調理場の方を見ていると、調理していたオヤジと視線がかち合った。一発で僕を外人と見抜いた彼は持っていた物を高々と掲げ、「これでいいか?」というようなジェスチャーをした。
おおっ、あれは! イサーン名物のもも焼き、ガイヤーンじゃないか! って、バンコクにもあったぞ。いい加減なこと書くなガイド本。 ・・・いや、そうとは限らないか。広島焼きだって広島でしか味わえないわけじゃないし、とれとれぴちぴちカニ料理だって道頓堀にしかないわけじゃない。もはや全国区のイサーン料理なわけだ。しかもこの流行りっぷり。これは期待できるぞ。じゃ、それ一つ。こっちもそんな感じのジェスチャーを返し、注文した。
待つこと数分。これもイサーン名物のもち米がバナナの葉に、ガイヤーンは骨ごとぶつ切りにされてプラスチックのトレーにのせられてそれぞれ運ばれてきた。なんというか、徹底しきれてないなぁ。どっちもバナナの葉っぱにのせてくれたら雰囲気出るのに。まぁいい、問題は味だ。手づかみで豪快に引き裂き、口に放り込んだ。
・・・うっ! ううぅまああぁいいいいぃぞおおぉぉぉぁぁああ!
ミスター○っ子ならガイヤーンから強烈な閃光がほとばしっていることだろう。日本でいうところの照り焼きのような味は濃密かつがっちりとしていて、歯ごたえも申し分ない。シンプルなのにうまいのかうまいのにシンプルなのか。どっちが正しいのかはわからないが、とにかく「ジーク鶏!」と手を挙げて敬礼したくなるほどのうまさだ!
横浜くんに出会うちょっと前、僕はカオマンカイという、蒸し焼きにした鶏肉をご飯に載せてタレをぶっかけた料理にもはまっていた。カオマンカイには鶏バージョンの他にアヒルバージョンもあり、そっちの方は鳥独特のにおいが少々あるのだが、僕のようにそれを「鳥の風味」と受け取れる人なら鶏バージョンをはるかに上回る歯ごたえを楽しめる逸品だ。この国の鳥肉は奥が深い。
そんなことを考えながらただひたすらに手と口を動かし続けていると、たっぷりあったガイヤーンはいつの間にかぴかぴかの骨だけになっていた。どうやらあまりのうまさに骨もぴかぴかになるほどしゃぶり尽くしていたようだ。マジうめぇ、これ!
はぁ、食った食った。食後の運動も兼ね、市の散策を再開する。
このあたりは娯楽エリアのようだ。おもちゃにお菓子にぬいぐるみ、キャラクターグッズなどの小物が店の最前列に並べられ、道行く子供たちに愛嬌を振りまいている。見た目は楽しげでいいのだが、なんといっても20も半ばに差しかかった僕の気をひく物ではない。それらを尻目に歩き・・・不覚にも、やがて現れた露店に目をくぎ付けにされてしまった。
色とりどりの小物が並んでいるのは他の店と同じ、だがこの店には細かく間仕切られた棚があり、そこに小さな風船が整列している点で他とは一線を画している。そして、手前のテーブルできらりと光っているのは・・・ダーツ。そこは割った風船の数に応じて景品がもらえるダーツ露店だった。
一人でも楽しめる素晴らしい遊び、ダーツ。正式なルールは知らないけど、昔はよくやったもんだ、自分で勝手にルールを作って。下宿の柱を穴だらけにして敷金思いっきりさっ引かれたっけ。久しぶりだな。よし、ここはひとつ日いずる国から来たダーツァーの実力を思い知らせておこうか。
金を払い、いざ挑戦! というところで、隣で投げている10才前後の男児に目が行った。おぉー。なかなかやるぞ、このボウズ。金を払わずに遊んでるところを見ると経営者の子供とかそんなところか。ちょっと参考にさせてもらおう。
立て続けに2つを命中させた後、しばらく悩んでいる。その右下のいけ、右下の。うん、それそれ。よし、いけ! ・・・あーあ、外れた。だからやめとけって言ったのに。かなり悔しそうにしている。ふっ、背中が煤けてるぜ。
よし、じゃあ見本を見せてやろう。見とけよ、狙いを定めて・・・
ひゅっ! スカッ!
へっ、まぁそうあわてなさんな。ダーツはまだまだある。次こそ・・・
ひゅっ! スカッ!
知らんだろうけど日本には「三度目の正直」って言葉があってだな。あと「三年目の浮気」って言葉もあるけど、これはあんまり関係ないからな。んなこたどうでもいい、今から神の領域を見せてやるからな、目ん玉かっぽじってよお~~~~く見とけよ、いくぞ!
ひゅっ! スカッ!
おい・・・。なに見てんだボウズ!
八つ当たりをかみ殺してボウズをにらむ。ヤツは手を叩いて笑っていた。くっ! このままでは収まらんぞ、もう一回やってやろうじゃないか。おばちゃん、もう一回! と合図を送ろうとすると、彼女もまた笑っていた。くそったれ、どいつもこいつも! もう来ねぇよ!
プンプンしながらダーツ屋を離れた。いかん、怒ったら小腹が減ってきた。あのガイヤーン屋台はうまかったけど量がいまいちだったな。何かちょっとつまめるものを買って帰るとしよう。甘い物と油物は別腹って言うし。
幸か不幸か屋台街はすぐそこだった。どれにしようか、目移りするなぁ。あれもうまそう、これもいけそう・・・ん? なんだあれは。突如現れた謎の屋台に僕の目はくぎ付けになっていた。 それは、白くて丸かった。いや、厳密には楕円形か。卵のように見える。いや、卵だ。鶏卵だ。それはまぁいいとして、なぜ殻のまま串に刺さってるんだ? それも3つも。てことはゆで卵? じゃ、後ろの火鉢で焼かれてる卵はなんだ? ひょっとして焼き卵? 生卵を串に刺し・・・たりしたら割れるな。となると? 串に刺さってるのはやっぱりゆで卵? ゆで卵を殻の上から焼いてるのか? なんでわざわざ? 意味がない。だとしたら? なんらかの方法で生卵を割れないようにしてそれを串刺しにしてるのか? どうやって? ・・・・・。ああっ、知恵熱が。もう何がなんだか。このままだとこっちの頭がゆで頭になってしまう。
僕はそこで思考回路を断ち切った。今は理性より本能を優先させるべき時だ。ほとばしれ、食欲!
その隣には例のつくね屋台があった。ピサヌロークの駅で買ったあれだ。こいつはタイ全土どこへ行ってもあるようだ。キャベツもつけてくれるので栄養的にもうれしい。いいやもうこれにしよう、うまいし。スペースの限られたプラットフォームの屋台とはちがい、ここの品揃えはとても豊富だ。いっぱいあるな、どれにしよう。
適当に指さして4本ほど袋に入れてもらった。普段ならそのまま立ち去るところだが、おっちゃんがあまりにもニコニコしていたのでお礼など言ってみたくなった。
「サンキュー」
「・・・?」
よし、それなら。知っている数少ないタイ語のひとつを使ってみた。
「コップンカップ(ありがとう)
とたんにおっちゃんの顔が輝いた。
「マイペンライカップ!(どういたしまして!)」
自分のへたくそなタイ語が通じたこと、それに対して笑顔で返事をくれたこと。たったそれだけのことが妙にうれしかった。なんか、普通の人みたいに旅できてるじゃないか。ヒキでも旅はできるんだ。それもたった一人で。 ・・・いや、そうじゃない。できるどころか、充実感は二人の時より今の方がよっぽど上だ。
確かに、二人でいれば不安や困難は半分になることもある。しかし、それらを乗り越えた時の達成感もまた半分になってしまうのだ。
前まではまゆが助けてくれた、でも今はそうはいかない。右往左往したり頭を抱えたり泣きたくなったりするようなことも、すべて自分でなんとかしなければその場所から動くことすらできないのだ。
勢いだけでなんとかなった初日と、ある程度旅というものがわかってきた今とでは勝手もちがう。たとえ日本では喪男板常駐の自宅警備員だったとしても、ここでは自ら他人に話しかけなければならない。エロゲー好きの変態であろうがなんであろうがやらなければならない。さもなくば先へ進むことも後へ退くことも、めしを食うことも寝床を確保することも、それどころか日本へ帰ることすらできないのだから。
そのかわり、それら問題を自力で片付けることができた時には
「ぅおらぁワイかてやればできるんじゃあぁぁああああああああぁ!」
と、真っ赤な夕日に向かって吠え散らかしたくなるほどの充実感がわき上がってくる。そしてそういった今までにほとんど感じることのなかった陽の感情こそが、真人間になりたくてもなれない僕にとって決定的に足りないものだった。
一人で苦難を乗り越えた達成感、充実感、そしてそれらから紡ぎだした自信。荷物を背負ってバンガローを後にする頃、心に蓄えた栄養で繭を編み、僕はさなぎになろうとしていた。蝶になるか蛾になるかはわからないが、包み込んでくれていた『まゆ』から抜け出る時には一皮むけてちがう姿になっていることだろう。
変態は変態しようとしていた。
次回 3章 かんちがい終了 4・動物三昧ナコンラチャシマ
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2章 うれしはずかし二人旅 | 1.かんちがい開始 | 2.ネアカの街 チェンマイ | 3.スコータイの仏 | 4.アユタヤの人 |
3章 お別れのち再出発 | 1.かんちがい終了 | 2.僕の深夜特急 | 3.変態inノンカイ | 4.動物三昧ナコンラチャシマ |
4章 引きこもり 日本へ帰る | 1.静けさの前の嵐 | 2.羽化 | あとがき |